大東亜戦争と国際裁判

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1941年、幾多の折衝にもかかわらず12月7日、日本は対米国交断絶の最後通牒をワシントンの日本大使館に送ることになった。そして、野村、来栖両大使がその書類をもって大使館を出るころ真珠湾に奇襲攻撃が加えられた。華々しい緒戦の勝利。しかし、ミッドウェー、ガダルカナルの敗戦を境に、日本は敗北の一途をたどり、1945年7月ポツダム宣言の発表につづく広島・長崎への原爆投下によって8月15日、敗戦を決定した。30日には厚木にマッカーサー元帥が進駐、9月2日ミズーリ号で降伏文書の調印が行われた。つづいて、戦犯として東条英機が逮捕され、近衛文麿は自殺。戦犯摘発は容赦なく進み、各国の検察団も続々入京した。一方、戦犯となった被告を弁護すべく日本人弁護人団が結成され。

嵐寛寿郎、高田稔、坂東好太郎、高倉みゆき、細川俊夫



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